The Story
創業からもうすぐ300年を数えます。
時代の波に翻弄されながら、困難な時代にも、小さくとも酒造りを絶やさなかったこと、それが今の松井酒造につながっています。 比叡山から流れ出た地下水は、とても柔らかく、癖のない澄んだ味わい。 それは、松井の酒造りにおいて、重要な要素の一つであり、酒造りを続けられた理由でもあります。 いつの間にか、京都の町中で酒造りを続ける最古の蔵となりました。 大切なことは、出来上がったお酒をそのままの状態でお客さまに楽しんでいただくこと。 たくさんのお客さまに、松井の酒と共に良い時間を過ごしていただきたいと思っています。
The Sake
松井の創業は、享保十一年
その頃には、但馬国美含郡篠庄下浜村(のちの香住村、現在の兵庫県香美町)にて、但馬国高木城主家臣であった四代目当主 松井治右衛門により酒造りが行われていたようです。
残念ながら、それ以前の文献は残されておりません。
以後、12代目当主に至るまで、松井家当主は代々、松井治右衛門の名を踏襲し酒屋を維持して参りました。
創業の地である香住の海を望める西迎寺には松井家先祖が掘った井戸「洗心甘露水」の碑が今も残ります。北前船の寄港地として栄えた香住において、松井の家は「天神丸」「八幡丸」という二艘の船を所有し、北海道と交易を行っておりました。
行きの船で酒を運び、帰りの船には多くの海産物が積まれていたと伝え聞きます。
昔から続く銘柄「富士千歳」は、霊峰富士に航海の安全を祈願し、商売とお客さまの千歳の幸せを願い命名されたと伝えられます。
The Sake
創業の時代から昭和まで、
松井の酒造りの担い手はいつも香住の人間でした。
杜氏を手放し、酒の造り手がいない中、14代目当主 松井八束穂が酒蔵の復活を決断します。
平成21年のことです。
幸いなことに井戸の濁りは解消されており、良質な水をくみ上げられていることも確認されました。
より確実に井戸水を確保するため、二号井戸を新たに堀り、万全の体制を整えます。
酒造りは、当時東京にいた長男 松井成樹を呼び寄せ行うことになりました。
大学の同窓というご縁だけで、黄桜株式会社さんが酒造りのいろはを教えてくださり、松井酒造における造りのモデルとなるよう「三栖蔵」にて指導いただきました。
さらに、鴨川蔵の完成と同時に、能登の名杜氏 道高良造氏を招聘し、その後二年間鴨川蔵にて充実したご指導を賜ることができました。
その後、平成24年より蔵元杜氏として独り立ちし、平成31年には代表取締役社長に就任、同時に、酒造りを絶やさない決意を込め十五代目 松井治右衛門の名を踏襲いたしました。
松井酒造から
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