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  和歌山県, 日本

名手酒造

The Story

当蔵の状況

1990年頃から約10年程度の間で、「日常生活で親しまれる本物のお酒」に集中したことが受け入れられ、当時の設備では品質を保つ意味での上限まで成長させていただきました。2000年頃以降、リキュール用の純米酒、輸出も合計した総出荷量は、10年以上ほぼ安定していました。 本物の日本酒に対する見直しが始まり国内での引き合いが強まるとともに、海外でも日本の食文化への関心が高まり、純米吟醸以上の高級部門の増産要請が強いため、もう一段の製造能力の拡充を、2010年代に入ってから取り組み始めました。また品質面についても全国レベルでの競争を意識した設備の交換と改良を続けています。 出荷量の95%超が純米醸造であり、純米酒に特化しています。また和歌山県内への出荷比率も60%台を維持し、地元においても純米酒中心の蔵であると認められております。 仕込み水がやや硬水であり、力強い発酵力が得られるため、味わいは幅があって柔らかく、旨みや飲み応えのある酒質の特徴があります。もちろん広域の優良産地からの米の確保や、社員の製造技術の錬磨、研鑽、製造設備の向上等にも努めておりますが、基底において、蔵の風土に合わせた酒づくり、蔵の個性を大事にしていきたいと考えております。

The Sake

和歌山市の南方​

和歌山市の南方約10㎞に位置する海南市「黒江」は、室町時代から漆器産地として栄えた職人の街です。かつて奥まった入り江で、万葉集に「黒牛潟」として詠まれた風光明媚の地で、蔵の付近には黒い牛の形をした岩が浜辺にあったと云います。その後地震による隆起と埋立により黒牛を地名の由来とする黒江の市街地が形成されます。

The Sake

沿革

1866年(慶応2年)当時繁栄を極めた漆器職人達を顧客として酒造りを始めたのは、名手源兵衛でした。安原村江南(現在の和歌山市東南部の農家集落)の自作農の出で、肥料商(名手屋)に奉公に出て認められ、暖簾分けを受けた由兵衛の三男、源兵衛は一旦蝋燭製造を志すも失敗、傘をさして通れないほどの細い路地裏に逼塞します。本家へ雇い戻してもらい修行の後、今の蔵のやや北方にあった江戸時代を通じて醸造していた酒蔵を本家からの借入金200両で株を買い再起を図ったのが、今度は成功したというのが沿革です。

名手酒造から