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   岐阜県, 日本

白木恒助商店

The Story

古酒と善次

田園が広がり、長良川の支流が流れる岐阜市北部の片田舎で 天保6年(1835年)に創業した当蔵は、裕福な地主の酒蔵ではなく、 地主から米を買付けて酒を造る、いわゆる商人系の造り酒屋だった。 六代目の白木善次は、昭和40年代に若くして先代から家業を任される。 当時は、地元の酒で晩酌するのが当たり前。 ビールやワイン等ほとんどなく、地酒が売れて当然の時代であった。 やがて一般家庭にテレビが普及しだした頃、 大手酒造りメーカーのTVCMが流れた。 そして地元の酒屋に大手メーカーの酒が並ぶようになると、 今まで売れていた地酒がしだいに売れなくなってきた。 このままでは、うちのような小さな酒蔵はやっていけなくなる。 そう考えた六代目は蔵の独自化について考え始めた。 そして、たまたま蔵の片隅に忘れられていた一升ビンを見つける。 4、5年は経っているだろうかー 恐る恐る封を切ってみた。黄金色の美しい色合い。 口に含むと、一年で飲む日本酒とはひと味もふた味も違ったものだった。 その次の日から、試行錯誤が始まった。

The Sake

復活への挑戦

どのような酒を造れば、味わいの深い古酒を造ることができるのか? 文献も探してみたが、醸造方法には触れておらず、造り方がわからない。 それならば、手間はかかるが毎年色々な酒造りにチャレンジし、 その結果を何年もかけて検証していくしかないー 古酒復活への挑戦が始まったのは昭和46年であった。 今年は純米酒の甘口のものを造ろう。 来年は吟醸酒の辛口のものを造ろう。 毎年、何種類か造っては売らずに熟成していく。 そして5年後10年後の結果を見ようという気の長い酒造りが始まった。 古酒は時間が育てるものでもある。

The Sake

古酒復活

しかし評価してくれる人たちが確実に増えてきた。 地元銀行の頭取、ソムリエの田崎真也さん、 デパートの理解のあるバイヤーさん— 時間をじっくりかけて熟成させた「古酒」が だんだんと認められてきたのだ。 ついにはJAL国際線ファーストクラスの ドリンクメニューに、通常3か月のところが好評を頂き 3年も搭載されるなど、長年の取組が認められる結果が出てきた。 現在では、「古酒といえば達磨正宗」というほど認知されてきた。 これからも、達磨正宗らしい時間をたっぷりとかけた 深い味わいを守り続け、進化し続けていく。


白木恒助商店から